インセプション
本を読むといいながら、また映画を観ている……!!!
クリストファー・ノーラン監督のテネット楽しみだな~とおもいながらインセプションを観た。あの中でめちゃくちゃ存在感を放つ渡辺謙が最高なのはいうまでもないけれど、ノーランの映画ははっきりと哲学が見えて最高だな……。
ノーラン、賛否両論といわれているけれど、わたしは好き。というかやっぱりバッドマン三部作の、「ダークナイト」が強烈すぎる。ノーランの映画には「美学」がある。そのまま飲み込むには劇薬であるそれを、誰もが大好きなハンバーグのなかに隠し味として紛れ込ませてしまえるような、「天才」。
複雑なストーリーと三段構造の入れ子型ストーリー。夢の世界だったら千年女優やパプリカがぱっと好きな話として思い浮かぶけれども、そのラインナップに新しくノミネートされたのはこのインセプションです。
・「自分を植え付ける」
「いいか、例えば‘‘象の事は考えるな’’と言われて今頭に何が浮かんだ?」
「象かな」
「そう、でもそれは自分のアイデアじゃないってことも分かってる。人は常に何故そのアイデアを思いついたのか探ろうとする、それをごまかすのは不可能だ」
人間の意識は「体験」による物語によってつくられる。人間は人間と関わらずに生きていくことなんて不可能で、関わるという事は深層がどうあれ影響される、ということ。
人が誰かと話したいとおもうのも、誰かの脳に自分のアイデアを植えつけたい遺伝子レベルの欲求があるから。生物の生殖行為のように、それは受け継がれたいという模倣子の本能なのだとおもう。
すべての言葉は物語の形をしている。
そして体験を通してゆっくりと自分の脳に浸透していく。
だから亡き妻モルは「ここは現実じゃない」という夢の世界での自殺を体験し、現実世界でも死を選んだ。ロバートは体験を通して「自分の道を進む」というアイデアに行きつく。
自分を救うのも、罰するのも、向き合うのも、破壊するのも、全部他人がきっかけでうまれる「アイデア」なのかなとおもった。そんなインセプションでした。