model9000のブログ

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SEKIROプレイレポ⑨~義父殺し~

 

ブラボやってる友達「フロムの死にゲー、リズムがあるから音ゲーに思えてきた」

わたし「やっぱり死にゲーは音ゲーだよ」

 

 

三味線のお凛を倒した奥には幻影破戒僧が待ち受けており、そいつを爆竹+握り灰のセコい手で倒し、奥入れの岩戸でお宿り石をゲット。お宿り石って水を飲むと身体の中にできるらしいけどなんか葦名の水ってやばいんだろうな…こんな石を孕むんだから。

「かぐわしく、輿入れ奉ろう」というように、お宿り石を宿した人間って多分生贄にされてる気がする。

源の宮へ辿りつける「不死切り」「馨し水連」「お宿り石」が揃ったので、葦名城に戻ろうとするとなぜか鬼仏が使えない。なので捨て牢から(ついでに捨て牢のイベントもこなしつつ。道順っていったいなんだったんだ?)葦名城下に潜入して最上階に待ち受けていた義父と再会。いきなり「義父の命に従い、御子を捨てよ」と狼に迫ります。

ここで御子を捨てると、修羅ルート。

捨てなければ、義父と戦うことになります。

まぁこの梟、とんだタヌキ親父ですがやっぱ狼の師であって戦い方がめちゃくちゃ狼と似ているんですよね。は~~~SEKIRO……父殺し……業……。

 

 

 

 

あの梟との戦いは、そっくりそのまま忍びの掟に縛られていた自分自身との戦いじゃないか? ともおもいます。『忍びの掟に背き、御子を捨てない』という意思は紛れもなくこの旅で導き出した狼自身の答えです。人は誰かの為に生きることができますが、それは自分で選ぶことができる。

己の意思で。

記憶を失っていた狼にとって、その意思が芽生えるきっかけは、九郎様をはじめとする多くの人間の生き方に触れてきたからでは、とおもいます。強靭な意志を持つ葦名弦一郎の生き様。そして狼の前に立ち塞がり死んでいった者たちの記憶の残滓。

死なず半兵衛の不死断ちのイベントが顕著でした。自分の意思では殺していませんが、やがて、『為すべきことを為す』という言葉通りに、半兵衛の意思を汲んで殺す日が来るでしょう。ゲームの進め方にさえ物語を見出し紡いでいく。人は物語を紡ぐことができる。たとえ死んでも。その物語は継ぐことができる。継ぐ、継承、というのは、古来から自然の摂理として営まれてきた。命が永遠に続いていかないからこそ、命を継ぐ。技術を継ぐ。遺志を継ぐ。物語を継ぐ。そうしたものが、狼のからっぽの中に注がれて、新たな生命、自分の意思が産声をあげた。

 

やっとこさ梟を撃破し、いよいよ輿入れをして、源の宮入りです。

(よくわからんから触れんけど、あの藁人形なんだったの?)